「いかに死にゆくか」
この間、私は卒業への最後のステップ、口頭試問を終えてとても開放的な気持ちで大学からの道を歩き、ある喫茶店に入った。
大学の目の前にある、西洋風の茶館だ。
店内はイギリス風アンティークが揃えられていて、雰囲気がとてもいい。
スコットランドに留学したことがある私は、当時のホストファミリーの家を思い出しながら、紅茶とスコーンを注文した。
しばらく経って、おじいさんが紅茶とスコーンを2つ、運んできてくれた。
「ゆっくりしていってね。」とおじいさん。
「ありがとうございます。今日は、卒業論文の口頭試問が終わって、とっても嬉しいんです。」
そう私は素直に今の気持ちを口にしていた。
紅茶を口に運びながら、クリームチーズとブルーベリージャムをつけたスコーンを食べる。
ちょうどそれは、ホストファミリーの家でやっていたことと重なり、感慨深い気持ちに満たされる。
スコーンを1つ食べ終えた頃、おじいさんは私の席の隣に腰をかけた。
本を読んでいた私は、それを閉じ、おじいさんの話に耳を傾ける。
おじいさんは、はじめにこのお店のことを話してくれた。
このお店の家具は、とても古く高級なものばかりで、私が座っていた椅子は100年モノ、
目の前のカーテンは何百万もするもの、あれもこれも、
手作りしたり、家具屋から取り寄せたり、こだわりの詰まったものばかりらしい。
お店は大学の隣に位置しているということもあり、教授が多く来店するのだという。
そして、店の話がひと段落すると、おじいさんは私にこう尋ねてきた。
「この中で一番古いものって何かわかるか?」
その質問に、周りをキョロキョロ見回していると、
「わたしだよ。」と自分を指差して笑っている。
80歳近くになるのだそうだ。
おじいさんは、もともと銀行マンだったらしい。
それも、部下が恐れて卒倒してしまうほど、厳しい上司だったのだとか。
最終的に、とても高い地位まで上り詰めたと言っていた。
社会のマナーについて、とても具体的に、私にその重要性を教え、
どんなことでおじいさんが部下を叱ってきたのかを教えてくれた。
口頭試問が終わって開放感に包まれ、力を抜いていた私は、思わず背筋を正しながら聞いていた。
おじいさんが厳しい話をしている間に見せる、暖かさのようなものを感じながら。
おじいさんの若かりし頃に向けていた情熱を垣間見ることができたようで、私はとても嬉しかった。
そして、仕事の話がひと段落すると、おじさんはこう言った。
「いまは、どうやって美味しい紅茶を淹れるかばかり考えているけどね。」
その時、私は気がついた。
今まで自分が「どうやって生きるか」ばかり考えていたことを。
学生だからとか、若いからとか、そういう枠組みの中で「どうやって生きるか」という視点しか持ち合わせていなかった。
しかし、おじいさんの話から聞くに、人生は長い。
そして、人生のその時その時において、いろんな情熱の傾け方がある。
歳をとって死を意識し始めた頃に、どんなおばあさんになっていたいか。
私は、この茶館の店主であるおじいさんのような歳の取りかたをしたいと思った。
人生を振り返って、それでもなお情熱を持って語れるような歳の取りかたを。
今自分がやっていること、やろうとしていることに対して、目の前の枠組みからずれるから、不安を抱くことがある。
でも、「いかに死にゆくか」という視点を持つことができたなら、
目の前の枠組みよりも自分の夢中になれることに、集中する理由にできるかもしれない。
目の前の選択に困ったら、「いかに生きるか」に加えて、「いかに死にゆくか」という視点を取り入れてみよう。
そうすると、また新しいことが見えてくるのかもしれない。
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