A year of Mourning

A year of Mourning

今日はタイの国王様の御命日。

一年目にしてやっと、去年から私が見て来たものをシェアしていこうかと思います。(一年間怖くてできなかった)


お亡くなりになる数日前から国王の危篤状態が報道されていて、FacebookやInstagramの投稿では、ピンク色の背景に「私たちの父を愛しています」と書かれた画像を、たくさんの友達が投稿していた。アーティストの人たちは、国王の似顔絵を描いて投稿し、国王が早く良くなることを願っていた。


画面をスクロールしても、スクロールしても、ずっと国王に関する画像が流れていた。

(スクリーンショットをたくさん撮ったのだけど、個人情報だから載せない。見たい人は個人的に言ってね。)



そして13日の夜、国王がなくなったと言う報道があった。



私は、その時日本人の友達同士で集まって、テレビを見ていた。ちょうど私の部屋にテレビがあったから、みんな集まって来た。

ずっと、首相の声明発表が続いていた。真っ黒の画面で、淡々と聞こえるタイ語。私はニュースから流れてくるタイ語が全くわからなかったけれど、とても重要な局面にいることを思い知らされた。



日本人同士の間では、タイ人の友達の心配とともに、国内でどんな混乱が起こるのだろうかととても不安になっていた。心の支えである国王がお亡くなりになるということがどれだけ彼らにとって大きなことだったのか、全く想像ができなかった。そして、国王をめぐる反対勢力によって何が起こされるのか、もしかしたら私たちは強制帰国なんてこともあり得るんじゃないかなんてことを考えていた。(自分勝手だなぁと思いながら)



亡くなった次の日に国王が療養していたシリラート病院へ行くと、朝9時ごろだったのに、道路に黒い服を着た人がたくさんいて、本当に驚いた。

泣いてる人もいて、これがタイ国民かと。話で聴いてるよりずっとすごいぞと。



そのあと、お昼の12時ごろから私は友達と四人でサナムルアン(ロイヤルパーク)の近くで座って国王のご遺体がシリラート病院から王宮へ運ばれる車が来るのを待った。

途中で水を配りに来てくれたり、濡れタオルを配りに来てくれる人たちがいた。

みんな譲り合ってものをもらっていた。私たちが自分たちの身の安全を心配していた一方で、彼らが一番悲しいはずなのに。ただただすごいと思った。



やっと車が来た時には、結局5時ごろになっていた。予定では2時ごろに来るはずだったから、余分に3時間待ったことになる。みんな暑い中いつ来るかわからない車を待って、5時間くらい座りっぱなしだった。


私の周りにも、道の向かい側にも、たくさん人がいた。それなのに、車が来た瞬間、あたり全体が静まり返った。車のタイヤの音が聞こえて、警察官のバイクと一緒に何台もの車が前を通って行った。


人々は、手を合わせていた。タイの挨拶はワイと呼ばれ、体の前で手を合わせるポーズをとるのだけれど、その高さによって気持ちの込め方や意味が違う。

みんな最大級の敬意を表す顔の前でワイをするポーズをとっていた。


静かな空間の中で、すすり泣く声が聞こえた。


彼らの「悲しみ」を最大級に理解することは外国人の私にはできないけれど、この人たちにとって国王がどれだけ大切な存在であったかが国王様のご遺体を載せた車が前を通った時に肌で感じた。


車が通り過ぎるのは本当に一瞬だったけれど、私の体の上にすごく重いものがのしかかったような気がした。


帰り道は、車が通れないように封鎖された、普段は歩くことのできない橋の上を歩いた。

前を見ても、後ろを見ても、真っ黒い服を着た人たちで埋め尽くされていた。

人々は国王の写真を持って記念撮影をしていた。多分InstagramとかFacebookに載せるんだろうなぁ。


私は橋を超えたすぐのアパートに住んでいたので、その前の道もたくさんの人で溢れていた。

いつも品揃え豊富なセブンから、ティッシュや飲み物がなくなっていて、「ん?これから買い占めが始まるのか?」と思ったりもしたけれど、ただ単に人が多くて暑かったからその日限りのもので、次の日からは商品は普通に店に並んでいた。



心配していたような大きな事件も起きず、ホッと一安心した。



私事だけど、この次の日からインフルエンザになった。

高熱が出て、こりゃダメだ〜〜〜と思ったから、タクシーに乗ってバンコク病院まで行った。


その途中外を眺めていると、町中に黒い布がかけられて、どんどん色を失っていくようだった。

今まできらびやかに国王様の写真が飾られていたところから国王様の写真が消えて行った。(後日モノクロの写真に張り替えられるためだったけれど)


なんとなく、街の中がすごくすごく寂しい雰囲気になっているみたいだった。



いざ国王がお亡くなりになったと言う報道を受けて、どんな風に友達に声をかけたらいいのかわからなくて、亡くなった10日後に全然できないタイ語を辞書と睨み合いっこしながら私も心配してるよ〜〜といった内容の文章を書いた。

友達も「ありがとう」と反応してくれて、これでよかったのだなと思った。




それから1年間、サナムルアン(สนามหลวง:ロイヤルパーク)に国王のご遺体がおかれた。

人が押し寄せ、暑い中6時間以上も並んで国王のご遺体に最期の挨拶をする人々。中には一年間で300回以上言った人もいるらしい(らしい。)

それをサポートするために無料のシャトルバスやフード、飲み物などが配給される。サナムルアンがフリーフードを支給する場所のようになっていた。(私が見て)


少し歩けばものがもらえる。外国人の私にも笑顔でもらっていきな〜と言ってくれるおじさんやおばさんがいた。


一年間かけて、国王の火葬のための建物が建てられる。

国王が亡くなってすぐだったかな?綺麗な芝生だったサナムルアンが、コンクリートで埋め立てられた。最初は「あんなに綺麗な芝生だったのに!」と困惑していたけれど、食べ物の支給や、建物が建てられていく様子を見て納得した。

国王のためならお金に関しては無限にあるんだね。(また今度詳しく)


そもそも、サナムルアンは「ロイヤルパーク」と言う名前なだけあって、彼らのための公園だから、国王や王女様の誕生日や(これも後日書こう)、王族のお葬式などに使われるためにある場所。

この間見に行ったらさすがはタイ国民の父のための建物、とっても立派だった。 とおおおっても立派だった。中までは入れないから写真は撮れていないけど、火葬後一ヶ月は一般公開されるらしい。(帰っちゃうよ〜〜帰りたくないよ〜〜〜)でも多分めっちゃ並ぶ。



イベントの自粛もいくつかあった。

参加予定だったバンコクマラソンが延期になったり、いつも酔っ払いで騒がしいカオサンが静かになったり。(そのころはカオサンに行った事なかったから、静かさがわからないけれど。)

一方で、中止かと思われていたチェンマイのロイクラトンが規模縮小なのかな?でも行われたり、(私たちは規模縮小だと思ってスコータイに行った。そこでも追悼のための光はたくさんあった。)カラーランなど様々なイベントは行われた。




そして今日、その日から一年が経つ。

今月に入って再び追悼モードが加速し、広告や交通機関、娯楽施設などには制限がかけられていた。(白黒にしなさいとか、音楽はこれをかけなさいとか)

当日は、アパートでの追悼式に参加した。お坊さんが来て、みんなに幸運を願いってくれた。

いつもお世話になっている屋台のおじさんや、乗った事ないのにいつも会ったら笑顔で挨拶してくれるバイクタクシーのおじさんは、「チョークディー(グッドラックって意味)」と言ってくれた。



一応、王宮の近くにも行ってみた。サナムルアンはもう入ることができないけれど、その奥の道へ入ることができた。

急に時間が止まったように、黒い服を着た人たちの動きが止まって、私もみんなが見ている先を見てみると、高そうな車が何台も走って行った。中にはブラジルの国旗を掲げている車もあって、各国から偉い人が来ているのかな?と思って周りの人たちに聞いて見たけれど、うまくコミュニケーションが取れず結局わからずじまい・・・(ううう反省)


一応書いておくと、タイではロイヤルファミリーを乗せた車が横を通る時は道が封鎖され、歩行者も止まらなければいけない。

朝8時と夕方6時には国歌が流れて、その間も歩いている人たちは静止しなければならない。

映画の前にも、国王を讃える音楽と映像が流れて、直立不動を維持しなければならない。(これもまた今度詳しく書く)


などなど、きまりがいくつかある。


こんな感じで1日が終わった。

街は普通に機能しているように見えたけれど、夕方にはアパートのスタッフはロビーを締めたり、大学が休みだったりした。

(スタッフはロビーを締めた後駐車場で楽しそうにご飯を食べていた笑 平和でいいなぁ〜と思っていたら私は部屋の鍵を部屋の中に入れたままロックしてしまい、仕事が早く終わったスタッフに迷惑をかけてしまった・・・けど超マイペンライ(大丈夫よ〜)って言ってくれて神かと思った・・・でもそのあと、来年もタイに来て泊まってねと言われ、常連さんに対するスペシャルな対応だったと気づいた・・・)



やっぱり一年経っても、タイ人の国王に対する気持ちをきちんと理解することはできないし、人によって、(口には出せないことも含めて)いろいろ思うことがあるのは個人的にわかるし、ふーむ、中途半端な感じだけれど、やっぱり今月タイに来てよかったなぁと思った。


お葬式が行われる26日は、何をできるのかわからないけれど、じっくり見守らせていただこうかと思う。。。

(友達に何するの?って聞いたら、何するかまだわかんないと言われ、みんながみんな王宮に詰めかけるわけではないんだなぁと思った)(当然か)

(あと、この一年で王宮に足を運んでない友達も結構いた)(最終日から2日前に行って6時間並んだよ〜と言っていた子もいた)(タイ人色々だな)(日本人色々だしな)(人でわけるのよくないよな)



以上、一年越しの現場レポート。

なかなかシェアできなかったのは、この私の見方があくまでも日本人である「私」目線であるということから、当事者にとって不快なことを書いてしまうのではないかと不安になったから。

けど、人間それぞれ意見があるわけで、それを発信することは悪になり得るけれどそれを恐れて発信しないことほど勿体無いものはないなぁと感じるようになって来たので書いた。

修正や意見、追加での体験などあればコメントや直接教えてください。


この次は、フォトギャラリーを作ろうかと思っている。

Lily

自分で自分を元気付けられる 存在になるために 日々なんとか生きています その延長で 人も元気にできたらいいなあ

1コメント

  • 1000 / 1000

  • Yuki

    2017.10.15 06:19

    王族の車が通った時にはみんな止まらなきゃいけない。人も車も。救急車までも。タイ国民の王族に対する愛や尊敬の念はひしひし感じたけど、よくわからないもやもやも日常生活で感じてた。 サナムルアンがコンクリートで固められちゃったのは悲しいなぁ笑