私の中の「当たり前」とは異なるけれど
私はストレートで、恋愛対象は男の子。
(ストレートというのは、異性を好きになる人のこと)
これまでは、LGBTの知り合いがいても
「あぁ、そういう人達もいるんだなぁ」
というくらいの、ちょっと遠い存在だった。
最近、ストレートではない人たちと
同時多発的に距離が縮まっている。
(最近認識したという人も含む)
「異性を恋愛対象として見る」
を当たり前に当たり前だと思っていたけれど、
そうでもないらしい。
最近は
私は彼らの性質をどんなふうに感じているのか、
どう考えたらみんなハッピーでいられるのかなぁ、
ということに興味が出てきている。
こんな風に考え始めたのはいろいろきっかけがあってだな。
最近仲良くなり始めた3人の話をする、
ちょっと長くなる。
ーーー
まずは、だいぶ仲の良い友達が
ヘテロフレキシブルだということを
Twitterで公言し始めた。
ヘテロフレキシブルとは、
異性愛者だが同性愛に抵抗のない人のこと
を指すらしい。
https://mobile.twitter.com/palette_lgbtq/status/1067360395575193600?s=12
(このTwitterがとてもわかりやすいと教えてもらった)
以前から「どっちもいけるんだよね〜」
と話をきいて「へえ〜」と思っていたのだけど、
公言したことは「おぉ、公言するんや」と思うくらいに驚いたの。
別に積極的に隠すことではないかもしれないけど
なかなか言い出しづらいことではあるのかなと思ってたし、
彼もそう考えてるのかなって勝手に思ってたからかな?
積極的に(?)発信し始めたのを見て
(しかも不特定多数が見て、個人が特定できるTwitterで)
「おぉ何だこの人は😳」と驚いた。
きっと、自分の身近な人が
性についてオープンにすることに衝撃を受けたのだと思う。
しかも、多くの人の「当たり前」とは
違うものを発信することに驚いた。
きっとその根底には、
「当たり前」と違うことは、
こっそり共有するものだという
私の中の無言のルールが存在していたからなのだろうと思う。
しかも、どうしても人と共有しづらい
性についてのことだから特に。
たぶんこの人のこの行動がなければ、
こうやって文章にして公開しちゃおうって、
考えつかなかっただろうなぁ。
ーーー
次に、最近仲良くなり始めた男友達が
バイセクシュアルであることと、
最近彼氏ができ(て超幸せな)ことを教えてくれた。
それを聞いたとき、なんかわからないけど
とてもとても嬉しい気持ちになった。
彼は、第一印象から「お、仲良くなれそう〜」
という、私と仲良くしてくれる人に多い
癒やしだけどしっかり系(?)の人だった。
きっととってもいい人で、
信頼できる人になってくれそうだな〜と
感じていたから、
その人が幸せそうにしているのを聞いて
ただただ純粋に嬉しいなぁと思った。
そして、そんなふうに純粋に思えたことに
とても嬉しく感じた。
ここ数年、緩やかにLGBTの情報を
漫画やエッセイなどで読むようにしていた。
読んでるうちになんとなく理解は深まっていったけれど、
もし自分が現実にLGBTの人たちと出会った時に
少しでも抵抗感を抱いてしまったら
悲しいなぁと考えていた。
でも、全然抱かなかった。
むしろ、彼の
「男も女も好きになれるから可能性は無限大」
という言葉、めっちゃ好きやなぁと思った。
ーーー
んで最後、これが今考えていることの直接のきっかけ。
前から知り合いだったゲイの友人と
最近距離が縮まってきていて、
「この人はなんか安心できるな〜」と感じている。
それでね、その彼、複数人で会話をするとき
ゲイだからという理由で、
「ゲイだからね〜はっはっ」
「ゲイだから気をつけなきゃね〜はっはっはっ」
とネタにされたり、
彼自身からネタにしていたりしていた。
まるで会話の隙間を埋めるためのように。
そのくらい軽い感じで。
それを見ていた私は
「えっ、それって、おもろいこと?」と思いつつ
何を口にすればいいかわからない、
そんな状況があった。
この状況ってきっと、
彼にとってはハッピーじゃないよなぁ。
でも、このバランスが彼にとってハッピーじゃなくとも、
ベターなのかもしれない。
だから私は何を口にすればいいか思いつかない。
何を言ってもこの絶妙なバランスを崩してしまう気がする。
やっぱり、わからない。
私はどこまでも第三者にしかなれないよなぁ。
と、感じたときに
私は第三者としての立場で
自分も彼も納得できる行動って何かなぁと考えた。
今の時点で考えているのは
私は何も言わず、
彼をゲイだからという理由で笑わないことで
こっそりと、彼にだけわかるような形で
彼の存在や性質を受け入れていることを
見せればいいのだということ。
でもよくわかんない
私の中の「当たり前」に、無理やり彼の存在を
当てはめようと頑張っているようにも感じる。
それは違うよなぁ。
まぁ、正しい行いというものは
存在しないのだろうけれどやっぱり、
自分が納得できて
相手もハッピーになれるような行動を
自然にできるように
普段から自分のことを意識していきたいよなぁ。
自分の「当たり前」のボキャブラリーに
なかった人と出会ったときに感じるもやもや
これは海外で旅行してるときに感じたものと
通づるものがある。
(ワクワク飛行機参照)
私自身が肩の力を抜いて相手を受け入れられるように
日々いろんな情報に触れていきたいし
こうやって直に考える機会に出会ったときは
ちょっとでも誰かの考える機会になれるといいなぁと
思って書いておるわけです。
最後まで読んてくれてありがとう。
また何か考えたこと、考えていたことがあれば
お話できると嬉しいです。
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